小山で2校、大田原で1校、そして宇都宮で8校目となるTBC学院校舎を見に行ってきました。
TBC学院とティビィシィスキヤツトとは、つながりがあります。
TBC学院の名誉理事長はティビィシィスキヤツトの取締役会長でもあるからです。
キレイな建物です。4月10日からは、若者たちで賑わうのが目に浮かびます。
2012年3月30日金曜日
2012年3月28日水曜日
ディスククラッシャー
美容室様のフロント業務をお手伝いしてきたPCやサーバーが、
毎月数十台から数百台引き上げがあります。
古くなり壊れてしまった物や新しく買い替えていただいたため必要なくなったた物などです。
産業廃棄物処理業者様に引き渡すのですが、その前にやらなければならない事があります。
それは、データーの消去です。
上の写真の「ディスククラッシャー」を使いディスクを物理的に破壊します。
バックアップで使ったメモリーやHDなども同様です。
引き上げたマシンからデーターの流失などがあっては絶対にいけないからです。
この処理の過程ではチェックが厳しく入ります。誰が、いつ、どこのデーターを
どのように(ソフトによる消去もあります)処理したのか、それを誰がチェックしたのかなどです。
万全な消去が行われた後、都指定の産業廃棄物業者のトラックに荷物を積み込みます。
長い間フロント業務をお手伝いしたマシンは、こうしてその一生を終えるのです。
毎月数十台から数百台引き上げがあります。
古くなり壊れてしまった物や新しく買い替えていただいたため必要なくなったた物などです。
産業廃棄物処理業者様に引き渡すのですが、その前にやらなければならない事があります。
それは、データーの消去です。
上の写真の「ディスククラッシャー」を使いディスクを物理的に破壊します。
バックアップで使ったメモリーやHDなども同様です。
引き上げたマシンからデーターの流失などがあっては絶対にいけないからです。
この処理の過程ではチェックが厳しく入ります。誰が、いつ、どこのデーターを
どのように(ソフトによる消去もあります)処理したのか、それを誰がチェックしたのかなどです。
万全な消去が行われた後、都指定の産業廃棄物業者のトラックに荷物を積み込みます。
長い間フロント業務をお手伝いしたマシンは、こうしてその一生を終えるのです。
2012年3月26日月曜日
栄転
2012年3月19日月曜日
予算責任者会議
2012年3月11日日曜日
絶対に忘れてはいけない日
東日本大震災から、丁度1年が経ちました。
私達が感じる1年と震災にあわれた方達が感じる1年とでは、大きな差があると感じます。
瓦礫の処理など依然として進んでおらず、復興のスピードが遅く感じられます。
この写真は1年前の震災の翌週に仙台に救援物資を届けたリストです。
ガソリン調達が困難だった事、高速道路が封鎖されてた事など思い出されます。
水も電気もガスも何にもなかった時です。
これは仙台港(社員の自宅近く)付近の写真です。
よくテレビなどで目にする写真が続きます。
1年前の3月下旬、石巻港、南相馬市をまわってきた時の写真です。
テレビでは伝わらない、強烈な匂いが印象的だった事、
伝えられてる通り南相馬市付近には人がほとんどいなかった事が印象的でした。
当社と取引のあるお客様も、社員もその家族も多数被災しました。
家や店舗が倒壊し、津波に家が流され、亡くなった方、依然として行方がわからない方、
多数います。そして今も放射能の影響で家に帰れない、故郷を離れるしかない人達にとって、
震災はまだ続いているのだという事。人間として、日本人として心に刻み、
決して風化させてはいけない。1年を区切りとしてはいけない。
復興を見届け、被災された方々が少なくとも以前と同じ生活ができるようになるまで、私達はこの大惨事を伝えていかなければならないと思いました。それでも亡くなった尊い命は戻らないのだから。
私達が感じる1年と震災にあわれた方達が感じる1年とでは、大きな差があると感じます。
瓦礫の処理など依然として進んでおらず、復興のスピードが遅く感じられます。
この写真は1年前の震災の翌週に仙台に救援物資を届けたリストです。
ガソリン調達が困難だった事、高速道路が封鎖されてた事など思い出されます。
水も電気もガスも何にもなかった時です。
これは仙台港(社員の自宅近く)付近の写真です。
よくテレビなどで目にする写真が続きます。
1年前の3月下旬、石巻港、南相馬市をまわってきた時の写真です。
テレビでは伝わらない、強烈な匂いが印象的だった事、
伝えられてる通り南相馬市付近には人がほとんどいなかった事が印象的でした。
当社と取引のあるお客様も、社員もその家族も多数被災しました。
家や店舗が倒壊し、津波に家が流され、亡くなった方、依然として行方がわからない方、
多数います。そして今も放射能の影響で家に帰れない、故郷を離れるしかない人達にとって、
震災はまだ続いているのだという事。人間として、日本人として心に刻み、
決して風化させてはいけない。1年を区切りとしてはいけない。
復興を見届け、被災された方々が少なくとも以前と同じ生活ができるようになるまで、私達はこの大惨事を伝えていかなければならないと思いました。それでも亡くなった尊い命は戻らないのだから。
登録:
投稿 (Atom)